プロフィール

1922年
ニューヨーク、ブルックリンに生まれる。
1940年
18歳の時、アーサー・ウエーリ訳『源氏物語』に感動。以来、日本文学や日本文化の研究を志し、第二次世界大戦終了後、コロンビア大学大学院で角田柳作のもとで研究を再開、ケンブリッジ大学に留学。
1953年
京都大学大学院に留学。
1955年
アメリカへ帰国、コロンビア大学で日本文学を教えながら古典から現代文学にいたるまで広く研究し、海外に紹介。日本文学の国際的評価を高めるのに貢献。
2002年
文化功労者に選ばれる。
2008年
文化勲章を受章。
2011年
3月の東日本大震災後、日本国籍取得を表明。
2012年
3月、帰化申請が受理され日本人となる。日本国籍取得後の正式名はキーン ドナルド。
2019年
2月24日、家族に見守られて逝去。享年96歳。

少年・青年時代 初めて日本文学と出会うまで

1922
(大正11)
0歳
  • 6月18日ニューヨーク市ブルックリンで貿易商の家庭に生まれる。
1929
(昭和4)
  • 世界経済恐慌。
1931
(昭和6)
9歳
  • パリ植民地博覧会開催。
  • 父とともにヨーロッパを旅行。
    フランスで外国語を話せず、気落ちする
ブレーメンで客船のタラップを昇るキーン少年と父
1934
(昭和9)
12歳
  • 妹が病死。
1936
(昭和11)
14歳
  • 父の工場があったスペインへ一家で移住を決めるが、内戦のため中止せざるをえなくなる。
1938
(昭和13)
16歳
  • 奨学金を受けつつ成績優秀により「飛び級」を繰り返し16歳でコロンビア大学に入学。
  • 中国人学生・リーさんと親しくなり、漢字に惹かれる。
  • メトロポリタン歌劇場の天井桟敷で初めてオペラを観る。グルック作曲の「オルフェオとエウリディーチェ」。
1939
(昭和14)
  • 第二次世界大戦勃発。
1940
(昭和15)
18歳
  • タイムズスクエアの本屋でアーサー・ウエーリ訳の"The Tale of Genji"( 『源氏物語』)を購入。激しくなる戦争の足音におののきながら読みふける。
コロンビア大学入学の頃

海軍語学将校として従軍した太平洋戦争時代

1941
(昭和16)
19歳
  • 夏、ノースカロライナの山中で友人らと日本語を学ぶ。初めて覚えた日本語は「サクランボ」。
  • 4年次、つのりゅうさく先生の「日本思想史」を受講。
  • 12月8日 日本軍がハワイ・真珠湾を攻撃。太平洋戦争が始まる。
1942
(昭和17)
20歳
  • 2月、日米開戦に伴い米海軍日本語学校に入学。
  • 6月、盲腸の手術で海軍病院に入院中、火野葦平の『麦と兵隊』を読む。初めて読んだ日本の現代文学作品。
  • 8月 アメリカ軍、南西太平洋のガダルカナル島に上陸。
1943
(昭和18)
21歳
  • 1月、11カ月間の日本語習得訓練の後、海軍語学将校としてハワイに派遣される。米軍が入手した日本軍に関する書類の翻訳、日本兵の日記の読解、日本兵捕虜の尋問や通訳などに従事。
  • 5月アッツ島の日本軍玉砕。
  • 5月、北太平洋のアッツ島、キスカ島攻略作戦に参加(〜8月)。
  • 9月、ハワイ・ホノルルの陸海軍共同情報局で難解な手書き文書の読解に従事。
1944
(昭和19)
22歳
  • 休暇を利用し、週二日の午前中をハワイ大学で日本文学の勉強に充てる。夏目漱石や谷崎潤一郎の現代小説を日本語で読む。さらに上原征生教授に『源氏物語』を学ぶ。
1945
(昭和20)
23歳
  • 1月、ハワイの捕虜収容所で音楽会を開く。日本の流行歌やベートーヴェンの「英雄(エロイカ)」のレコードをシャワールームで日本兵捕虜と聴く。
  • 3月、フィリピン・レイテ島を経て沖縄戦に従軍。日本兵捕虜の通訳を務める(〜6月)。
  • 4月 アメリカ軍、沖縄本島上陸。
  • 7月、沖縄戦終了後、ハワイに戻る。
  • 8月6日 広島に原爆投下。9 日には長崎に投下。
  • 8月15日 日本はポツダム宣言を受諾。無条件降伏。
  • 8月、中国・チンタオへの赴任の途中、グアムで昭和天皇の玉音放送を聴く。
  • 9月、中国・青島で日本兵の戦犯調査の任務に就く。
  • 11月、戦犯調査にいたたまれず、除隊を申請。
  • 12月、ハワイの原隊復帰への帰路、焼け野原の東京に立ち寄る。親しくなった日本人捕虜たちから託された手紙を手に、消息を家族に伝えて回る。離日前に日光を見物。
日本兵捕虜の尋問(沖縄戦)

コロンビア大学大学院時代 角田柳作先生に学んだ日本文学

1946
(昭和21)
24歳
  • 1月、ニューヨークに帰還。
  • 戦争が与えてくれた贈り物、日本語という知識をすてたくないと、コロンビア大学へ戻る。大学院で角田柳作先生に日本文学を学ぶ。
  • 捕虜収容所で親しくなった元日本人兵士と頻繁に便りを交わす。その中で、将来の計画は定まらないが学業はすてたくないという思いを伝える。
1947
(昭和22)
25歳
  • 角田柳作先生のもとで修士号を取得。徳川時代後期の経世家、本多利明に関する論文による。
  • 秋、ハーヴァード大学に移る。
    当時アメリカで一番有名な日本学者、セルゲイ・エリセーエフ教授やエドウィン・ライシャワー助教授(後に駐日大使)の日本文学に関する講義を受ける。
  • 近松門左衛門の人形浄瑠璃「こく性爺せんや合戦かっせん」の英訳を始める。
在りし日の角田柳作
所蔵:コロンビア大学
C.V. スター東亜図書館

ケンブリッジ大学時代 1948秋~1953年春

1948
(昭和23)
26歳
  • 秋、日本文学研究を続行するためケンブリッジ大学の特別奨学基金を得て、イギリスに渡る。
  • ケンブリッジ大学で研究を開始。
  • 学部生に日本語を教える。日本語の会話の授業を担当。
  • クリスマス直前、書き上げた博士論文を旅先のイタリアで盗難にあい、最初から書きなおす。
1949
(昭和24)
27歳
  • 哲学者バートランド・ラッセル、作家E・M・フォースター、東洋文学研究者アーサー・ウエーリらと交流を始める。
1951
(昭和26)
29歳
  • 人形浄瑠璃「国性爺合戦」についての論文が、"The Battles of Coxinga" (『国性爺合戦』)として出版される。処女出版。これにより、コロンビア大学で博士号を取得。
  • 9月 サンフランシスコ平和条約締結。
1952
(昭和27)
30歳
  • 春、ケンブリッジ大学で「日本の文学」についての5回の連続講義を開く。しかし、200人は入る大きな教室に参加者はわずか10人。強い挫折感を味わう。
  • 夏季休暇でコロンビア大学に戻り、角田柳作先生の「日本思想史」の講義に基づく "Sources of Japanese Tradition"(『日本伝統の源泉』)の翻訳に参加。
  • 修士論文を大幅にふくらませた "The Japanese Discovery of Europe"(邦訳『日本人の西洋発見』)を出版。第二作目。
1953
(昭和28)
31歳
  • 2月 NHK、テレビ放送開始。
  • 「日本の文学」についての5回の連続講義が一冊の本として出版される。
    "Japanese Literature: An Introduction for Western Readers"(『日本の文学』)は、のち、日本文学を学ぶ世界の学生たちのテキストとして息の長いベストセラーとなる。
  • 5月、雑誌『文學』に、佐佐木信綱著『上代文學史』についての評論が和訳され掲載される。
    予期せぬ日本文学界デビューとなる。"The Far Eastern Quarterly"( 「遠東季刊」)1952年8月号掲載論文。

憧れの日本留学 京都時代

1953
(昭和28)
31歳
  • 8月、フォード財団の奨学金を得て念願の日本留学(京都大学大学院)が実現。アジア各地を旅して京都着。京都駅には中国・青島で知り合った友人が出迎える。
  • 戦友の同志社大学教授、オーティス・ケーリの紹介で京都市東山区今熊野の奥村邸「ひんじゅあん」を下宿先に定める。この下宿で永井道雄と知り合い、生涯の友となる。
  • 10 月、伊勢神宮式年遷宮に参列。
  • 10 月、京都大学で野間光辰教授の講義を受講開始。
    留学中の主なる仕事を『日本文学選集』の刊行と決める。
  • 智積院で書を習う。ここで西崎照明師と出会い、親友となる。師から東大寺のお水取りや京都の社寺の行事などに誘われる。
  • 大蔵流の茂山千之丞に狂言を習う。
軽井沢で永井道雄と
(1960 年頃)
1954
(昭和29)
32歳
  • 2月、「西歐人の源氏物語の觀賞」を雑誌「文學」2 月号に発表。
  • 京都・下鴨の谷崎潤一郎を訪ねる。
  • 8月、永井道雄の紹介で中央公論社社長の嶋中鵬二を知る。以来、嶋中を通して日本の著名な 作家たちと知り合う。文壇に名を知られる上での恩人。
  • 夏、川端康成に『日本文学選集』出版の助力を願う。
  • 11月、東京・歌舞伎座で三島由紀夫と会う。以後、吉田健一、河上徹太郎、石川淳、大岡昇平ら、鉢の木会の作家たちと交流。
1955
(昭和30)
33歳
  • 3月、「文藝別冊 石川啄木読本」に「啄木の日記と芸術」を発表。
  • 5月、奥の細道を旅する。中尊寺では金色堂内陣の美に眼も心も奪われる。
  • 雑誌「中央公論」6 月号に「紅毛奥の細道」を発表。
  • 5月、2年間の日本留学を終え、アメリカに帰国。

コロンビア大学教授時代(1) 新しい日本文学通史を書こうと決心するまで

1955
(昭和30)
33歳
  • 9月、コロンビア大学助教授となる。日本文学と日本語を教える。
  • 2年間にわたり "Anthology of Japanese Literature" "Modern Japanese Literature"(『日本文学選集』古典編・近代編)の 2 巻を編集・刊行。
1956
(昭和31)
34歳
  • 9 月13 日、品川・喜多能楽堂で狂言「どり」のろうじゃを演じる。酒屋役は武智鉄二。谷崎潤一郎、川端康成、吉田健一、三島由紀夫、松本幸四郎(八世)らが観劇。
狂言「千鳥」の太郎冠者を
演じるドナルド・キーン
(品川・喜多能楽堂)
提供:渡部雄吉
1957
(昭和32)
35歳
  • 春、四国紀行。
  • 9月、国際ペンクラブ東京大会にジョン・スタインベックらアメリカ代表団の一員として参加。
  • 日本語で書いた最初の本、『あおい眼の太郎冠者』を出版。
  • 10月、ニューヨークに滞在の三島由紀夫の『近代能楽集』の戯曲上演に奔走。
1960
(昭和35)
38歳
  • 1月 日米新安保条約、ワシントンで調印。
  • コロンビア大学教授となる。
1961
(昭和36)
39歳
  • 日本の演劇研究のため1 年半、日本に滞在。日本での住まいを京都から東京(原宿)に移す。
  • 吉田健一とその仲間(鉢の木会)の作家たちと親しく交流。
  • 秋、金春流の指導的能役者、桜間道雄(後に人間国宝)に謡曲を習う。
  • 12 月、伯母から母の病状が悪化したとの連絡を受け、南回りのヨーロッパ経由でニューヨークへの帰途につく。
1962
(昭和37)
40歳
  • 2月、ロンドンに着き、アーサー・ウエーリと最後の面会。
  • 3月、ニューヨークに戻る。母死去。
  • 古典ならびに現代日本文学の翻訳による海外への紹介の功績により菊池寛賞受賞。
1963
(昭和38)
41歳
  • 夏、アフリカを講演旅行。ナイジェリア・イバダンの大学では日本文学について講演。さらに、狂言のパフォーマンスも披露。
  • 三島由紀夫の『うたげのあと』翻訳発表。
1964
(昭和39)
42歳
  • 10月 東海道新幹線が営業開始。
  • 10月 第18 回オリンピック競技大会。(東京オリンピック)
  • 10月、中央公論社版『日本の文学』編集委員となる。
  • 10月、ニューヨークで安部公房と会う。
  • 11月、恩師、角田柳作死去。新しい日本文学通史を書こうと決心する。

コロンビア大学教授時代(2) 『日本文学の歴史』全18巻完結まで

1965
(昭和40)
43歳
  • ザルツブルクにおけるフォルメントール賞選考会に出席、三島由紀夫『宴のあと』を推挙。
  • 7 月、谷崎潤一郎死去。
1966
(昭和41)
44歳
  • 能のアメリカ、メキシコ公演をプロデュース。
  • アーサー・ウエーリ死去。
1967
(昭和42)
45歳
  • 『徒然草』の翻訳、および三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』の翻訳を刊行。
1968
(昭和43)
46歳
  • コロンビア大学で学生ストライキ。
  • 川端康成、日本人で初めてノーベル文学賞を受賞。
1969
(昭和44)
47歳
  • メキシコ大学で1 カ月間日本文学を教える。
  • 国際出版文化賞受賞。
  • 安部公房の戯曲『友達』の翻訳を刊行。
1970
(昭和45)
48歳
  • 3月 日本万国博覧会(大阪万博)開幕。
  • 11月、三島由紀夫死去。
1971
(昭和46)
49歳
  • 1月、オーストラリア国立大学(キャンベラ)における第28 回オリエンタリスト会議で「三島由紀夫」を講演。
  • 6月 沖縄返還協定調印式。
  • 東京・文京区西片に住む(毎年、日本には6月から翌年1月まで滞在)。
  • 10月、東京新聞に「日本との出会い」連載(12 月28 日まで)。
  • 11月、新潮社の『波』に「日本文学を読む」の連載を開始。1977 年6 月まで全66 回。
  • 司馬遼太郎と対談。翌年、『日本人と日本文化』として中央公論社より刊行。
1972
(昭和47)
50歳
  • 安部公房と対談。翌年、『反劇的人間』として中央公論社より刊行。
  • 4月、川端康成死去。
  • 9月 日中国交正常化。
1973
(昭和48)
51歳
  • 8月、日米合同会議「室町時代―その社会と文化」に参加、報告(京都・相国寺)。
  • 10月、日本航空の社内誌「OHZORA」に紀行文を連載開始(12 回。京都、金沢、函館など12 都市)。
    1980年に『日本細見』として他の紀行文も加え中央公論社より刊行。
1974
(昭和49)
52歳
  • 1月、「週刊朝日」に「ドナルド・キーンの日本文学散歩」を連載開始(1975年9 月26 日まで全21 回)。
  • 東京・北区に住む。
1975
(昭和50)
53歳
  • 「レコード芸術」1975年1月号~ 1976年12月号に「私の好きなレコード」を連載。
  • 勲三等旭日中綬章受章。
  • 5月、盟友、安部公房がコロンビア大学から名誉人文科学博士の称号を授与される。
1976
(昭和51)
54歳
  • 『日本文学史』日本語版刊行開始(中央公論社)。のち、『日本文学の歴史』と改題。近世編 (1977 年完結)、近代・現代編(1992 年完結)
1977
(昭和52)
55歳
  • 7月、新潮文化講演会「日本を理解するまで」講演(~12 月)。
  • 8月、吉田健一死去。
1978
(昭和53)
56歳
  • ケンブリッジ大学から文学博士号を授与される。
  • 6月、東北大学文学部特別招聘教授に(〜11月)。
1980
(昭和55)
58歳
  • 10月、北京訪問。
1981
(昭和56)
59歳
  • ヨーロッパ講演旅行。
1982
(昭和57)
60歳
  • 司馬遼太郎の推薦により朝日新聞社客員編集委員となる(1992 年まで)。
司馬遼太郎、永井道雄と三人で
1983
(昭和58)
61歳
  • 山片蟠桃賞、国際交流基金賞受賞。
  • 中国シルクロード(トルファン・敦煌)美術の旅。
  • 7月4日、朝日新聞に「百代の過客 日記にみる日本人」の連載を開始(1984年4月13日まで全185 回)。
1985
(昭和60)
63歳
  • 『百代の過客』により読売文学賞、日本文学大賞受賞。
1986
(昭和61)
64歳
  • コロンビア大学に「ドナルド・キーン日本文化センター」設立。
  • アメリカン・アカデミー会員(文学部門)に選ばれる。
  • 10月13日、朝日新聞に「続 百代の過客 日記にみる日本人」の連載開始(1987年10月29日まで全234回)。
1987
(昭和62)
65歳
  • 東京都文化賞受賞。
  • 国際日本文化研究センター発足、専任教授となる。
1988
(昭和63)
66歳
  • 8月1日、国際演劇協会歌舞伎ワークショップで「歌舞伎における改作の功罪」を講演。
  • 10月8日、福井県武生市(現・越前市)文化センターにおける第1 回源氏物語アカデミーで「私と紫式部」を講演。
  • 11月5日、埼玉県草加市における奥の細道国際シンポジウムで「『奥の細道』の世界」を講演。
  • 11月24日、京都・国際日本文化研究センター特別公開講演会で「平安時代後期物語の新しさ」を講演。
1989
(昭和64)
(平成元)
67歳
  • 1月 昭和天皇崩御。昭和から平成へ。
  • 10月8日、群馬県高崎市における高崎薪能で「能の楽しみ」を講演。
1990
(平成2)
68歳
  • 全米文芸評論家賞受賞。
  • 日本学士院客員となる。
  • 9月、エドウィン・ライシャワー死去。
1991
(平成3)
69歳
  • 福岡アジア文化賞受賞。
  • 9月、中国・杭州大学で「日本文学」について講義。
1992
(平成4)
70歳
  • 4月、NHK人間大学(教育テレビ)で「日本のおもかげ」と題し13回にわたり放送(~6月)。
  • コロンビア大学退任、同大学名誉教授となるも、毎年半年間の講義は継続。
1993
(平成5)
71歳
  • 安部公房死去。
  • 勲二等旭日重光章受章。
  • NHK放送文化賞受賞。
1994
(平成6
72歳
  • 井上靖文化賞受賞。
  • 大江健三郎、ノーベル文学賞受賞。
1995
(平成7)
  • 1月 阪神淡路大震災発生。
1996
(平成8)
74歳 
  • 2月、司馬遼太郎死去。
  • 9月21日、大阪青山短期大学において「近世の演劇」について講演。
1997
(平成9)
75歳 
  • 4月、嶋中鵬二死去。
  • 『日本文学の歴史』全18 巻完結。これにより朝日賞(人文科学)を受賞。
  • 東北大学より名誉博士号を受ける。

コロンビア大学教授時代⑶ 文化勲章受章

1998
(平成10)
76歳
  • 山本有三の戯曲『米百俵』の翻訳を刊行。
  • 11 月、早稲田大学総合学術センター国際会議場で「近松と私」を講演。
    早稲田大学より名誉博士号を授与される。
  • 大阪青山短期大学に「ドナルド・キーン日米学生日本文学奨励賞」創設。
1999
(平成11)
77歳
  • ししくい町立図書館(現・徳島県海陽町立宍喰図書館)開館に合わせ、2000 冊の本を寄贈。日本初のドナルド・キーン文庫。
  • 東京外国語大学より名誉博士号を授与される。
2000
(平成12)
78歳
  • 親友、永井道雄死去。
2001
(平成13)
  • 9月 アメリカで同時多発テロ発生。
2002
(平成14)
80歳
  • 文化功労者に選ばれる。
  • 『明治天皇』により毎日出版文化賞受賞。
2003
(平成15)
81歳
  • 1月、『足利義政と日本美の発見』(中央公論新社)出版。(改題『足利義政と銀閣寺』(2008 年)。
2006
(平成18)
84歳
  • 東京都名誉都民、北区名誉区民となる。
  • 「源氏物語千年紀」のよびかけ人となる。
  • 4月、オーティス・ケーリ死去。
2007
(平成19)
85歳
  • 3月、『渡辺崋山』(新潮社)出版。
  • 7月 新潟県中越沖地震(M 6・8)発生。
  • 中越沖地震の復興を支援して古浄瑠璃「越後国柏崎 こうほういんでん 」の復活上演を提案。
2008
(平成20)
86歳
  • 文化勲章受章。

日本人となったドナルド・キーン

2009
(平成21)
87歳
  • 6月、復活上演を提案していた古浄瑠璃「越後国柏崎 弘知法印御伝記」が越後猿八座により柏崎で初上演される。
2010
(平成22)
88歳
  • 10月、「弘知法印御伝記」の東京公演実行委員長を務める。東京・浜離宮朝日ホールで上演。
  • 安吾賞受賞。
2011
(平成23)
89歳
  • 3月11日、東日本大震災発生。
  • 4月、「いまこそ私は日本人になりたい」として、日本国籍取得を表明。
  • 4月26 日、コロンビア大学を退任。最終講義は「能」について。
  • 8月、日本永住のため、ニューヨークの自宅を引き払う。
  • 9月、平泉、中尊寺を訪ねる。毛越寺にて作家、平野啓一郎と対談。
  • 10月、瀬戸内寂聴と平泉、中尊寺で「日本人の強さ、日本の美」をテーマに対談。
  • 11月、東洋大学より名誉博士号を授与される。
  • 12月、『ドナルド・キーン著作集』全15 巻刊行開始(新潮社)。
津波にのまれた東松島市街地
撮影:川崎けい子
2012
(平成24)
90歳
  • 3月、日本国籍取得。
  • 4月、NHK 100 年インタビュー(京都)。
  • 4月、インド・アフリカの旅へ出発(5 月帰国)。
  • 5月、東京都北区飛鳥山博物館で「ドナルド・キーン展」開催。
  • 7月、札幌大学で講演。その後、石川啄木の評伝執筆のため函館にて資料調査。
  • 7月、日本女子大学より名誉博士号を授与される。
  • 8月、『正岡子規』(新潮社)出版。
  • 12月、「古典の日」推進フォーラム・イン東京で講演(国立能楽堂)。
2013
(平成25)
91歳
  • 1月、東京新聞主催の講演「日本文学と私」(江戸東京博物館ホール)。
  • 1月26 日、北区立中央図書館にドナルド・キーン・コレクション開架。
  • 3月、ニューヨークに里帰り。コロンビア大学で講演「Lifetime Student of the Humanities」。
  • 5月、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館で「ドナルド・キーン展」が開催。
  • 7月、同志社大学より名誉文化博士学位を授与される。
  • 9月、 新潟県柏崎市に「ドナルド・キーン・センター柏崎」が開館。
2014
(平成26)
92歳
  • 母校、コロンビア大学で、「石川啄木」講演。
  • ドナルド・キーン・センター柏崎主催「日本文学の魅力」を柏崎市文化会館アルフォーレで講演。
  • 名古屋で、「日本文学と私 外国研究の喜び」、松山市で、「生きてゆく言葉」講演。
  • 金沢市で、「私の金沢、若き人たちへ」講演。
  • 特別企画展(ドナルド・キーン・センター柏崎)前期、後期「直筆原稿が語る『日本文学を読む』」
ドナルド・キーン・センター柏崎
開館1 周年記念講演
「日本文学の魅力」
「果てしなく美しい日本」
2015
(平成27)
93歳
  • イタリア(ローマ、ミラノ、フィレンツェ等)、スイス(バルテュス邸)訪問。
  • ドナルド・キーン・センター柏崎主催にて、「思い出の作家たち」講演。
  • 母校、京都大学で、「京都大学時代に出会った人々」講演。
  • 特別企画展(ドナルド・キーン・センター柏崎) 前期「太平洋戦争とドナルド・キーン ~日本文学研究の原点~」後期「ドナルド・キーンの選ぶ三島由紀夫お気に入り作品3」
バルテュス邸訪問
2016
(平成28)
94歳
  • ポートランド州立大学で教え子のローレンス・コミンズ教授が演出する学生英語歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」を観劇。
  • ドナルド・キーン・センター柏崎主催にて、池田功明治大学大学院教授と「石川啄木~最初の現代日本人~」対談。
  • 群馬県立土屋文明記念文学館で、「恩師、角田柳作先生の思い出」講演。
  • 特別企画展(ドナルド・キーン・センター柏崎)前期「写真で綴るドナルド・キーンのあゆみ」 後期「石川啄木の日記を読み解く~最初の現代日本人~」
2017
(平成29)
95歳
  • 2009年に325年ぶりに復活上演を果たした古浄瑠璃『越後國柏崎 弘知法印御伝記』を正本が発見されたロンドンの大英博物館から独立した大英図書館 ホールで里帰り公演を実現。帰路、ケンブリッジ大学を訪問。
  • 特別企画展( ドナルド・キーン・センター柏崎) 前期「ドナルド・キーンに宿ったセンセイ 恩師、角田柳作の志」後期「古浄瑠璃『越後國柏崎 弘知法印御伝記』大英図書館里帰り公演」
ケンブリッジ ケム川にて
写真:宮澤正明
2018
(平成30)
96歳
  • 東京北区の旧古河邸・大谷美術館で写真家、宮澤正明が撮り続けてきたドナルド・キーンの写真展、「ドナルド・キーンのまなざし」を開催。
  • 特別企画展( ドナルド・キーン・センター柏崎) 前期「『源氏物語』の芸術的な翻訳者、アーサー・ウエーリとの邂逅」後期「博士論文、近松門左衛門『国性爺合戦』翻訳と研究」
大谷美術館「ドナルド・キーンのまなざし」
2019
(平成31)
(令和元)
96歳
  • 2月24日早朝、永眠。
    青山葬儀場で「お別れの会」開催。キーン先生を慕う大勢の人々が別れを惜しむ。
  • 追悼企画展(ドナルド・キーン・センター柏崎)「ドナルド・キーンの歩んだ道のり」
お別れの会
2020
(令和2)
  • 一般財団法人ドナルド・キーン記念財団設立。